小話・Web日記はじめました。
いままで友人・知人のWeb日記を読んで「すごいなぁ、よく毎日書けるよなぁ」なんて感心してたんですが、なにを思ったか、私もはじめることにしちゃいました。Web日記。
そろそろ御存じの方も増えてるかと思いますが、実はもう始めてます。2002年4月30日からスタート。
三日坊主になるようだったら、跡形も残さず抹消して、そ知らぬ顔しておこうと思ったんですが、どうやら続けられそうな雰囲気。研究が忙しくなったら更新が滞るかもしれないけど、まあ基本は「書きたいときに書きたい内容を」でいくつもりだから、毎日更新にはこだわらずにいきます。
案外、忙しくなったときの方が現実逃避に更新増えるかもしれませんし。
それはともかく、Web日記なんて、なんで急に書きたくなったんでしょうか。それを自分で整理しておく必要があるかなぁと考えました。
私の考え方とか性格とかを公開する…というのは実はこの「小話」や「雑想録」の目的です。ついでにちょっと笑ってもらえればなお良し。日記は特に笑ってもらうことにこだわりません。まじめなことを書いたり、しょうもないことを書いたり、はたまた何も書かなかったり。
小話ははっきり「読まれる」ことを意識して書いています。読んでもらうための文章として書いています。が、日記の方は読まれることは意識してても基本的には「書く」ことを重視。読みたい人はどうぞって感じです。
その程度のことだったら、別にWeb日記にする必要はないんじゃないかって気がしてきます。
インターネットが情報を発信する場所であるとすれば、読んでもらうために公開する「小話」の存在価値はわかるけど、書きたいから書くだけの「日記」を公開する意味はわかりません。
読まれるために書いていないなら、現実の日記帳にでも書けばいいだけです。
けど日記帳に書くのは嫌なんです。
読まれるために書いていない…としても、やっぱり読まれたい。
一体全体、私はなんでWeb日記をはじめたくなったのか…そこではたと気が付きました。
この日記は不特定多数の人に向けての“話し掛け”なんじゃないかって。基本的には誰に対してとも言えない呟きごとだけど、それでも誰かに聞いて欲しいと思っている内容なんじゃないかって。
小話は見て(look)もらうための文章で、日記は目にして(see)もらうための文章という感じでしょうか。
大人に自分の意見を受け入れてもらえなかった子供が、聞こえよがしにブツブツ呟いているのに似ています。聞いて欲しい独り言です。あれって、相手にしてもらえない寂しさですよね。
つまり私も日記という媒体で、聞いてもらいたい独り言をブツブツ言ってみているってことで・・・あれ、つまり私の日記が「子供の聞こえよがしの呟きと一緒」ってことは…私も実は寂しがってるだけ?
そういわれてみれば、今日は起きてからまだ誰とも喋っていませんでした…。
そっか、寂しかったのか・・・
(2002.5.23)