坂本龍馬が目にした風景を見る旅 〜下関と長府/山口〜

2002年8月8-12日


はじめに

 この夏、山口県まで行って来ました。
 以前、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで、坂本龍馬が目にした風景の現在を自分の目でも見てみたい!と思い、前々からいつか行ってみようと思っていました。山口県、つまり明治維新で主要な役割を果たした長州藩の現在の風景を見てみようという旅です。
 また直接的なきっかけは、山口に住んでいる友人Kさんが“変わった料理を出す食堂”に案内してくれるという話につられたという面もあります。もっとも今回はとてもまともな料理しか食べなかったので、インパクトはやや薄かったかと思いますが。
 なにはともあれ、重い腰を上げて一路山口まで。
 準備時間が少なかったために、坂本龍馬が見た風景を〜という視点でこの文章を読むと物足りないと思います(1日目と3日目のみ?)。これは個人的な山口旅行記第1弾ということで、その点はご容赦ください。
 (検索でここに来た方へ:いい情報は期待しないでください)


内容 (長くなったので、区切りとなる場所にリンクを張っておきます)

初日・電車から降りると、そこは下関だった 〜下関・門司

 今回は青春18切符を使った旅。京都発の夜行快速「ムーンライト山陽」で長州(山口)入りしました。
 ムーンライト山陽は京都23:27発ー下関8:57着という延9時間半も乗車している電車です。さぞかしキツかろうと思っていたのですが(初めて乗りました)、これが思いのほか快適で驚きました。東京ー大垣間の夜行快速「ムーンライトながら」よりもいい車両を使っていると思いました。
 以前は特急列車で使われていた車両なのでしょう。座席の幅・間隔は広く、背もたれは深く倒れて、車両の後ろにはトイレだけでなく鏡や洗面施設、荷物置き場と着替え室までついていました。これらの施設がある電車、私は初めて乗りました。さすがに古い車両だなぁとは思いましたが。
 「ムーンライトながら」の場合だと、終点・東京に到着するのが朝の4時40分。下り電車では大垣到着が6時56分。とにかく朝が早いんです。それに対して「ムーンライト山陽」は到着時間が9時ということもあり、朝がスロースターターである私にはありがたい限りでした。
 予想以上に快適だった座席とゆっくりした時間のおかげで、すっきりした頭で初日の活動を開始することができました。

 さて、そうはいっても、直前まで忙しかったために旅の予定はそれほど立ってはいませんでした。
 電車の中で『竜馬がゆく』文庫本5巻6巻を読んで“予習”していましたが、どこになにがあって、なにを見に行く…という予定はほとんどありませんでした。
 そんな状態のまま電車は予定通り、下関に到着。
 下関で坂本龍馬ゆかりの地といえば、脱藩後に世話になったというこの辺りの大商人・白石正一郎邸と、亀山社中(後の海援隊)の下関支店であった伊藤邸といったところかなぁと目星をつけました。もっとも、どちらも詳しい場所までは調べていませんでした。
 第二次長州戦争では、坂本龍馬が艦船を指揮し戦ったというらしいので、馬関海峡(ばかんかいきょう:関門海峡のこと。長州での呼び方)の風景を見ることも考えていました。また時間が余れば、壇ノ浦にあるという長州が外国船に向けて発砲した砲台も見てみたいと考えていました。

 そんなこんなで、特にどこに行けばなにが見られるかは知らないまま、下関駅に到着しました。
 きっと、駅の近くに観光案内所があるはず・・・と思っていたら、駅前に案内所でなく案内板がありました。
 それを見てみると、第一目的地『白石邸跡地』がちゃんと記されていました。さすがこの辺一帯の大商人。おまけに、下関駅から歩いて15分くらいの位置でした。出だしから、なかなかついていると思いながら、手持ちの地図(まっぷるを買った)に書き写し、出発しました。

 白石邸はかなりの広さだったようで、現在はその門があったという位置に石碑があるだけでした。

 白石邸の門があったあたりに石碑があり、 石碑には白石正一郎氏の業績が記されていました。

 石碑の最後に「中国電力株式会社」とあるのは、白石邸の跡地が現在の中国電力の敷地内にあるからのようです。白石さんは坂本龍馬に限らず、多くの維新志士の世話を焼いた人で、自身長州藩の奇兵隊設立に関わった人であるだけに、敷地が完全に忘れられるということはなかったのでしょう。(・・・まさか白石氏の子孫が中国電力を創設した…なんてことはないでしょうね…)

 旧白石邸のほかにも、高杉晋作ゆかりの地なども歩いていける近い範囲に点在しているようでした。それらのうちいくつかを回りながら、再び下関の駅前に戻ってきました。先にKさんから「チャンスがあれば門司港駅も見てみるといい」と勧められていたこともあり、その後、電車に乗って九州・門司へ渡ることにしました。
 門司(もじ)・門司港(もじこう)は下関の対岸に位置していて、まっぷる(観光情報誌)によると門司港から関門海峡を渡る蒸気船の定期便が出ていることも発見し、一旦、海峡を越えた後、今度は蒸気船で下関入りしようという魂胆です。
 船上から海峡を眺めるのはまさに「坂本龍馬が見た風景のいまを見る」にぴったり!と上機嫌です。

対岸から眺める下関・門司港駅

 門司港駅は、とてもいい雰囲気の駅でした。昭和初期にタイムスリップしたかのような印象。一級待合室とか二級待合室とか、他の駅には残っていないですよね。戦時中、運良く取り上げられなかったという「幸運の手水」(こううんのちょうず。要するに手洗い用の水桶)なんてものまでありました。昔からの風景を残しつつ、現代に調和している駅でした。

JR門司港駅はとてもレトロな造りで 駅前には噴水もありました。

 街並みもとてもモダンな感じで、時間があるなら門司港駅の周辺をもっと散策して回ってもよさそうです。ただし、それをやると軽く1日は過ぎてしまいそうです。今回の旅の目的からは離れてしまうので、今回は割愛。それはまたいつかのお楽しみとして、港の方に移動しました。ちょうどいい時間だったので、ここで昼ご飯。

 門司港〜下関(唐戸)間の汽船は、20-30分に1本は出港していてなかなか便利でした。まあ乗船時間は5分くらいなのであっという間ですけど。270円。
 乗船前に改めて門司港駅の側から下関を眺めてみました。

門司港から関門海峡大橋を眺めた写真

 対岸はもう目と鼻の先。
 昔、この海峡を挟んで敵味方が罵声を飛ばしあったという話にも頷けました。相手の言葉までは聞こえなくても、対岸でなにをしているか見て取ることはできそうな近さでした。「海」峡というからもっと対岸は離れているという印象を持っていたんですけど、そんなことはないのですね。

 関門汽船に乗船。写真の奥には関門海峡大橋も見えています。
 江戸時代ではこの海峡を挟んで別の国だったわけです。この海峡を挟んで戦闘をしていたことだってあるんですから、普段はともかく戦時中は海峡を越えることなんて至難だったでしょう。それがいまや汽船が絶え間なく行き来し、橋を渡って自由に往来し、さらに電車で海峡を越えることもでき…というのですから、いい時代になったもんです。――そんな感慨を持ってしまいました。

関門汽船から関門海峡大橋を眺めた写真
(船上から写した写真)

再び下関へ

 関門汽船から降りると、そこは唐戸。
 昼ご飯を食べながら地図を見ていたら、唐戸の近くに阿弥陀寺町という地名を発見しました。阿弥陀寺町というのは、亀山社中の下関支店があった伊藤邸があったという地名です。
 実はこの伊藤邸の跡地に行ってみたいなぁと思いつつ、私の持っている情報は「阿弥陀寺町にあるらしい」ということだけでした。正直、阿弥陀寺町がどこにあるのかさえ、知りませんでした。
 それが偶然、汽船で到着する場所の周辺を確認していたら、阿弥陀寺町という地名も発見してしまいました。発見した以上、行かないわけにはいきません。
 この時点では、伊藤邸の場所まではわからないままでしたが、阿弥陀寺町を歩き回れば、ひょっとすると見つかるかもしれません。そんな甘い観測で出発。

 詳しい場所もわからずに向かったところで着くわけがない・・・かと思ったのですが、実際には阿弥陀寺町に着く前に観光案内板を見つけました。そしてそれには「本陣伊藤邸跡」の所在地がちゃんと記されていたのです。
 なんか順風満帆。
 すんなり話が進みすぎて意外ですが、たまにはこんなことあってもいいでしょう。

本陣伊藤宅跡には立て看板があり、それには 伊藤家の歴史について書いてありました。 

 そんなこんなで、本陣伊藤邸の跡地まで移動しました。唐戸の港から歩いていける範囲です。私は歩きましたが、バスに乗ったとしても停留所1つで到着。赤間神社の近くでした。

 さて、この本陣伊藤邸跡を見た時点で、当初から見たいと思っていたものはすべて見たことになります。
 白石邸跡・伊藤邸跡・ついでに馬関海峡を船上から――
 初日の予定は、このあとホテルがある山口・湯田温泉まで移動し、例の食堂に案内してもらう…ということでしたが、まだ時間が残っています。
 そこで坂本龍馬が見た風景からは少し離れて、幕末長州の史跡――外国艦隊に発砲した砲台跡――を見に行くことにしました。別の本で、長州の砲台跡の写真が載っていたのです。それは砲門がひとつ、海峡に向けて置かれているものでした。それを見ようと思いました。

 あいかわらず、下調べは足りていません。私の持っている情報は「下関に砲台跡がある」ということのみ。写真には「壇ノ浦の砲台」と書いてあったので、場所は壇ノ浦だということまでは特定できていました。
 壇ノ浦は阿弥陀寺町からすぐ近く。
 これまた私は徒歩で移動を開始しました。

 ところが、今度は海峡線づたいに歩いていっても、なかなか砲台跡にたどり着きません。バス停で「壇ノ浦」という場所があるので、その近くだと思ったのですが…
 この日、私は下関に着いてからずっと、わらじを履いて移動していました。
 江戸時代ゆかりの地を見て歩くのだからと、伊達で前々から用意していたものです。が、これが思っていた以上に足に堪えていました。普段から草履を履いたりしているのですが、その草履は地面とぶつかる衝撃を吸収するためにスポンジ状の緩衝材が間にあります。それに対して、このわらじは本当にわらじ。歩くたびに衝撃はそのまま足に伝わります。
 半日歩き続けていたせいで、私の軟弱な足の裏はすっかりグロッキー状態になっていました。昔の健脚の人は、本当に健脚だったんだと思い知りました。結局、関門大橋の下あたりまでは歩いてみたのですが、そこから見える範囲に砲台はなく、そろそろホテルに向かわないといけない時間になっていたので、そこで捜索打ち切り。バス停「壇ノ浦」まで引き返すことにしました。
 もう少し進めば、ひょっとして…と思うままに歩いていたため、帰りの距離がとても長く感じられました。

 ちなみに、この長州砲台、実はもう少し歩いた先にあったのでした。そのことは、2日後、長府から唐戸までバスに乗ったときに判明しました。関門大橋の位置から考えれば、バス停「壇ノ浦」まで歩くより近い位置だったかもしれません。


初日、夜・変わった料理を出すお店〜ひかり食堂

 最後の最後で長州砲台まではたどり着けず、やや無念さを残すことになった下関探索ですが、まだ旅は始まったばかり。楽しみを後に残したのだということにしておきます。
 そして次の目的地は、宿泊場所・湯田温泉。
 とても歴史ある温泉街です。昔、白狐が浸かって傷を治した泉を見つけ、その泉を掘ってみたら、温泉と仏像(だったかな)が出てきた――という伝説が残る温泉。県庁所在地・山口のすぐ隣に位置します。湯田温泉駅の前には、伝説にちなんで白狐のモニュメントがある…のですが、どうにもこうにも・・・かわいらしい白狐でした。
 実は宿をとった後に知ったのですが、ここの温泉、坂本龍馬も長州藩を訪ねたときに立ち寄り入浴したという話でした。

 ホテルに到着して、まずは入浴。
 安宿なので少し心配していたのですが、ちゃんと夜中自由に入れるお風呂付き。お湯は温泉。ちょっと狭いのはご愛敬として、大いに満足しました。

 お風呂をすますともう待ち合わせ時間まであと30分といったところ。
 ホテルから駅(待ち合わせ場所)まで15分程度です。さっさと着替えて出発。
 待ち合わせというと、私はたいてい遅れていく性質なんですが、ここでの遅刻は「電車に乗り遅れる」と同義語。それはすなわち「1時間待ち」を意味します。そんなこんなで、無事(めずらしく)、持ち合わせ時間より早く駅に到着できました。私だって、やるときゃやるんです。
 ちなみに私が待ち合わせに間に合おうとすると、なぜか大雨になる確率が高いのですが、この日は大丈夫でした。(伏線)

食堂にて

 連れて行ってもらった食堂は、防府にあります。防府駅から、バスもしくはタクシーで20分くらい?? 「ひかり食堂」というお店です。
 Kさんに話を聞いたときは「変わった料理を出すお店」という印象。要するに「ゲテモノ屋」という認識です。サソリの唐揚げとか熊の手とか、どういう流通経路で入手できる食材かよくわからないものが食べられる場所、という認識でした。
 ただタクシーのお兄さんの言動や店構えから、このお店のウリは「メニューの種類が豊富である」ということのようです。なんでもン百種類を超えるメニューだとか。店内は、いたるところにお品書きが張られています。その張り方は雑多で、重ね張りも当たり前のように行われ、なにがなんだか・・・という騒々しさ。
 お店の雰囲気は、とても気に入りました。

 料理が運ばれてきました。

 このお店は、変わった品物だけでなく、普通の料理も多くの種類、用意されています。
 そしてこの日に注文していたのは「食べ放題メニュー」――お店の人が適当に見繕って、ゲテモノと普通の料理を半々くらいに出してくれる…というものでした。
 「他の人が厭がるようなものでも、俺はたいてい食ってきた」と大見得を切っていた私ですが、なにが出てくるかドキドキもんです。
 正直、ムシの類が出てきたら、ちょっと抵抗あるかなぁと思っていました。(そのときは“かに・えびの仲間だ”と思って食べるつもりでした)

 で、実際に出てきたものは、とてもまともなものばかり。・・・まともかどうかは、判断する人に依るのでしょうが、抵抗なく食べられるものばかりでした。以下、品目を列記すると、

・すずめの丸焼き
・カエルの唐揚げ
・ダチョウの心臓
・ダチョウのスナズキ

・牛タンを軟らかく煮たもの
・うなぎ
・エビフライ(普通のとはちょっと違う)
・イカの刺身
・タコの醤油和え
・タコのメンチ
・タマゴ焼き

 品名の詳しさに偏りがあるのは、食べるのに夢中で詳細を書き忘れてたためです。

黒い固まり?
「スズメの丸焼き(ダシ付き)」

薄い肉片?
「ダチョウの心臓」

 スズメの丸焼きは、いわれると確かに丸々とした頭部などが見て取れると思います。一番最初に出てきた皿メニューでした。
 「これはどうやって食べたらいいんだろう・・・」と悩もうとしたら、お店の人がさらりと曰く「頭からそのまま囓ってください」
 そのまま囓りました。

 ダチョウの心臓は、説明されないと変わったものであることすら気がつかないほど普通でした。

 カエルの唐揚げも、違和感なく食べられました。
 なんというか、鶏の唐揚げを食べているのと大して食感は変わりません。
 とても鳥肉に近い味を感じました。またよく味わってみると、やや魚っぽさも感じられて、鳥肉と魚肉の中間というまさに両生類らしい味だったと言えなくもありません。
 おいしかったです。鶏の唐揚げとの違いは、その細かい骨の多さといったところでしょうか。

 このお店、変わった食材(今回食べたのはまともなものばかり?)を扱うときは、食べやすく調理し、普通の食材を扱うときは、ちょっと変わった調理をするところなのかなぁという印象を受けました。
 カエルの唐揚げなんかは、とても普通に食べられましたが、味は濃いめ。ひょっとすると生臭さを消すために、敢えて濃いめの味付けにしていたのかなぁなどと想像しました。また牛タン(新メニューだと言っていた)とかタコのメンチなどは、ちょっと変わった調理法のような気がしました。

 食べるのに夢中で、写真は殆ど撮り忘れました。とても心残りで、今度行ったときには忘れずに写真撮影をしてこようと思います。
 そして今度行ったら、食べ放題ではなく、もっと怪しいメニューを狙い打ちしようと思います。

防府から湯田温泉まで・・・

 さて、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎ、食べ放題タイムは終了、お店もそろそろ閉めるという時間になりました。
 実はこの時点で、湯田温泉までの電車があるかかなり微妙な時間でした。
 お店から出てすぐタクシーが捕まれば別なんですが、タクシーの通りはそれほど頻繁ではありません。
 ひとまず、防府駅に向かって歩き始めようということになりました。駅に向かっていけば、タクシーにも出会えるだろうということで。
 しかしなかなかタクシーは見つかりません。
 そうこうしているうちに、「これは湯田温泉までの電車はもうないな」という時間になりました。(湯田温泉駅までは小郡駅で山口線に乗り換えるのですが、この電車の本数が少ないのです)
 ここで選択肢として挙げられたのは、

・防府駅まで出て、タクシーを捕まえる
・湯田温泉駅まで歩く

 Kさんの名誉のために書いておきますが、二つ目の選択肢を出したのは私です。
 そして、あろうことか通った意見は、

  ひとまず湯田温泉に向かって歩く。その間にタクシーを見つけたら、それに乗る。

 理にかなったようで、まさに理不尽である意見が通ってしまいました。
 ちなみにこの折衷案を作ったのも私。この案の理不尽さを知るのに、さほどの時間は必要ありませんでした。

 なにが理不尽って、大したことはありません。
 単純な話、「湯田温泉に向かって歩いている限り、無人のタクシーが通りかかることはない」というだけです。
 付け加えるならば、防府から湯田温泉までは想像より遠かったという事実もありました。

 この峠を歩き始めたら、もう確実にタクシーは通らない。歩ききるしかなくなる。(歩ききるのに数時間は要する)――という位置で、私はKさんにギブアップを宣言しました。
 やっぱりタクシーを捕まえよう、ということになり、改めてタクシーを待ってみても、通りかかるタクシーはなかなかありません。ごくたまに通りかかるタクシーは、すでに人を乗せているタクシーだけ。当たり前と言ったら当たり前。

 さすがにこれは困ったなぁ…と途方に暮れていたら、なんと反対車線を走っていた車がUターンして、こちらに近寄ってきました。とても格好いい男性(主観が混じっています)と美しい女性(主観が混じっています)が「どうしました?」と。
 「タクシーを捕まえたいんですけど、捕まらないんです」と白状し、大まかな事情を話したところ、湯田温泉まで乗せてくれると言ってくれました。曰く「そんなところにいてもタクシーは捕まらないよ」
 なんて情け深い人たちなのでしょう!後光が差して見えました。

 そんなこんなで心優しい人たちに助けられて、湯田温泉まで帰り着くことができました。
 おそらくデートの帰り道、逆方向だっていうのに湯田温泉まで乗せていただいたお兄さんお姉さん、本当にありがとうございました。
 いつか同じ状況に出会ったら、私も同じことがやれる人間でありたいものです。(それにはまず、車の免許が必要です)


追記:
 ひかり食堂は2002年10月20日をもって閉店したとの知らせを受けました。
 まだ食べていないゲテモノがたくさんあったのに、残念で仕方ありません・・・
 1年後には普通の定食屋「ひかり食堂」(全品500円)として再出発するそうです。料理の腕はなかなかのものだと思いました。ぜひ新しいお店が繁盛することを祈っています。・・・そしていつの日か、再び珍しい食材の料理を食べさせてください。


2日目・山口市内見物〜昔の藩庁を訪ねて

 元々の予定では、二日目は防府見物に当てようと思っていたのですが、防府は前の晩に行ったといえば行った。それに対して、せっかく山口のすぐ隣に宿泊しておきながら、山口市内を観光する予定がないのはもったいないだろう。そんなことを考えて、予定変更。山口市内を見物をすることにしました。

 この日見て回ったのは、山口県庁(元の長州藩庁)、山口県立美術館、瑠璃光寺など。
 瑠璃光寺は、室町時代の五重塔があることで有名なようです。室町時代というので、いろいろ装飾されている建物を想像していたのですが、これは落ち着いた感じでそんなに装飾されてはいませんでした。法隆寺の五重塔のような重々しさはなかったですが、質素な作りだなぁと感じました。
 五重塔や池など、いい雰囲気で気に入りました。
 なにより気に入ったのは、この五重塔がある庭園は自由に出入りできるということです。山口は文化を大事にする県風なのでしょうか。犬を散歩する人、ジョギングする人など、多くの人が行き交っていました。

この日に食べたものと温泉

 この日もKさんにいろいろと案内してもらいました。食事については「せっかくだから他では食べられないものを」と紹介してもらいました。
 昼ご飯で食べたのは「ばりそば」
 そばをからりと揚げたものに、あんを掛けて食べるというもの。かた焼きそばが近い存在かと思います。
 そして晩ご飯は「そば寿司」

パッと見は普通の太巻きだけど…

 ご飯の代わりに、そばを使った太巻きです。これを付け汁に浸けて、食べます。

 またこの日の晩は、宿泊していたホテルの近くにある温泉入浴施設「ゆらり」というところを利用してみました。入浴料650円。
 とても広い浴場に、サウナ、露天風呂などが付いた施設です。
 湯田温泉は、入った感じアルカリ性のお湯で、入浴後は肌がつるつるするような温泉でした。
 この入浴施設「ゆらり」もいいお湯だったのですが、入ったときに少しだけピリッとした感覚がありました。一旦入れば、あとは柔らかいお湯なんですけど…ひょっとして塩素系の消毒でもしているのかなぁと勘ぐってしまいました。単に1日動き回って、日焼けしてただけなのかもしれませんが。


3日目・長府城下町を歩く

 さて初日の欄にも書きましたが、私は待ち合わせには遅れることが多いんです。それどころか間に合うように計画を立ててると、その計画を妨げるように雨に降られたりするわけです。ところがこの旅行中、初日は待ち合わせ時間より早く到着し、2日目もタイミング悪くトイレに行っていたという点を除けば、ちゃんと待ち合わせ場所に着いていました。珍しいこともあるものです。
 そのように珍しいことが続くとどのようなことになるか?――それは、3日目にはっきりしました。

――この日は大雨。

長府藩城下町へ

 朝から雲行きは怪しかったのですが、出発の時点ではまだ雨は降り出していませんでした。
 この日の行動は、長府藩の城下町のあたりに行って「長府毛利邸」「侍屋敷の長屋」「功山寺」「長府博物館」を見物→バスで唐戸まで移動して関門汽船で門司にわたる→小倉でラーメンを食べる…というものでした。
 JR長府駅に着く頃までは、天気も持ちました。
 地図では目的地・城下町長府まで駅から4〜5kmくらいに見えたので、歩いていくことにしました。折りたたみの傘をベルトポーチの帯に掛けて「(刀の)一本差し〜」と小学生のようなノリで歩いていたのですが、2〜3km歩いた頃合いから、怪しかった雲行きが決定的になりました。
 城下町長府とはいえ、町並み全てが城下町の面影を残しているわけではありません。長府駅から歩いていくと、2〜3kmくらいで突然、町並みが変わる場所がありました。そして、ちょうど古風な町並みに切り替わり、屋根も何もないようなところで、雨は降り始めました。

 はじめはポツポツ、そして段々ひどく…などという無駄な手順は踏まずに、「おや?」という間に土砂降り。
 傘はもちろんすぐに差しました。だから、上からの雨は、それほど苦ではありません。ただあまりに激しく降りつけるものだから、地面からの反射で靴とズボンが濡れていきます。立ち止まっていても濡れるくらいですから、歩けば輪を掛けて濡れます。
 さすがにそのまま強行軍をする気にはならず、近くにあった本屋に逃げ込んだのですが、なかなか降り止んでくれそうもありませんでした。

 いつまでも待っていると見たいものも見られないと思い、意を決して出発することにしました。まあ、この日は一人で気ままにぶらつこうとしていただけ。人と会っているときに降らないならば、これくらい我慢できるってもんでしょう。そう自分を励ますことにしました。(伏線)
 しばらく行くと、侍屋敷の風景が残った区画につきました。
 ようやく雨も小降りになりました。が、その頃には靴はびしょ濡れ。もうこれ以上濡れても何ともない!というほど。

 侍屋敷の跡を歩き回っているうちに、「長府毛利邸」という場所が目にとまりました。
 もともとの予定では「長府庭園」という所に行こうと思っていたのですが、そこまではさらに歩かなければならないことと、どうも長府庭園は比較的新しい場所らしいということとで、予定変更・この長府毛利邸の方を観光することにしました。いいかげん、雨の中を進むのが嫌になったという面もあります。

 この長府毛利邸は、長府藩の藩主であった毛利公が明治維新後に自ら住むために建てたお屋敷。明治初期の建築がそのまま残っていました。拝観料は200円。
 もともとのお殿様の屋敷だけあって、庭の景観もなかなかのもの。さらに襖を取り払えば、大勢の人と向かい合える部屋群があったりして、昔のお城の部屋の作りなんかもこんな感じだったのかなぁ…といろいろな想像ができました。また、ほとんどの部屋には机が置かれていて、自由に休んでいいようになっていたのもありがたかったです。
 明治天皇がこの地を訪れたときには宿泊場所にされたそうで、その部屋も残されていました。庭の景観はその部屋からが一番美しく見えるのかなと、図々しくその部屋に座りこんで庭を眺めてみたり、楽しませてもらいました。
 雨が降っていたのも風情のうちですね。(負け惜しみではありません)

 その後、功山寺に移動。
 高杉晋作の銅像などを眺めて、ふと横の建物を見てみると、そこは長府博物館。
 次の目的地は、隣接していました。

 このころ、やや時間がおしている印象があり、博物館に入るのはやめようかと思っていました。
 ところがこの博物館、大人の入館料200円で、大学生は100円。
 100円をケチって、せっかく来たのに中を見ないというのは、なにかひどく間違っているような気がしまして、駆け足ででも見て回ることにしました。

 その判断、大正解。

 坂本龍馬にゆかりの地を回るつもりならば、この長府博物館を抜かしてはいけません。
 ここには坂本龍馬の友人であった長府藩士・三吉慎蔵ゆかりの資料、坂本龍馬が三吉慎蔵宛に出した手紙とか、龍馬愛用の茶碗(?)などが展示されています。これらは常設です。
 他にも何かいろいろあったのですが、特に覚えて・・・と、そうそうあとは当時使われた砲門とか、木製の砲門もどきとかがありました。木製の砲門って…これで黒船とケンカしたのだからいい根性しています。

いざ、唐戸へ

 これでだいたい長府で見たいものは見終えた感がありました。最後の長府博物館なんか想像以上で大満足。(というか、これくらい下調べしておけばいいんですよね。見逃さなくて良かったです。)
 あとは、バス停まで移動し、バスで唐戸まで移動するだけです。
 初日に門司港〜唐戸の関門汽船に乗って、その快適さに惚れました。もう一度乗りたいと思い、予定に組み込みました。実際、下関から小倉に行く電車より、門司港から小倉に行く電車の方が本数あるので、趣味だけでなく実益も兼ねています。

 そんなこんなで、バス停・松原に移動開始。
 先の長府博物館では予想以上にいい収穫がありました。そのようにいいことがあると、釣り合うように悪いことも起きるものです。

――大雨、再び。

 バス停に近づくほどに、ひどくなりました。というか、数メートル先がはっきり見えないほどの大雨です。
 バス停の位置もよくわからなくなったのですが、バスが1台、止まって、再出発した光が見えたので、そこがバス停と判断しました。近づいていくとその判断が正しかったことがわかりました。

 時刻表を確認してみると、1台バスが行ったばかりだというのに、次のバスはそれほど待たずに来るようでした。
 そのころまわりは土砂降りも土砂降り。そこら中、タライをひっくり返したような雨です。
 ひでぇ目にあったなぁ…と思っていると、バスがやってきました。

 「急行・下関行き」(うろ覚え)のランプを煌々と照らしながら、バスが近づいてきました。

 私は乗りたいという意思表示をするために、停留所で一歩前に進み出て、バスに合図を送ろうとしました。

 バスは見向きもせずに走り去りました。

 ・・・・・

 ・・・ちょっと待て。

 「急行」ってのは、この停留所を止まらないの?…と時刻表を見直してみても、そんなことは書いてありません。まあ、単純に「見えなかった」というのが自然な解釈のようです。
 いやぁ、これは珍しい体験ができた。いい土産話になるなぁ、あはは・・・人間、極度に怒ると笑ってしまうようです。
 バス会社に苦情を言いたくなったのですが、それはまあ大人げないのでやめときました。ここは諦めて、次のバスを待つしかないようです。

 バスに見落とされたというのはショックでしたが、幸い、その次のバスも案外早く来るようでした。10分も待てば次が来るのだからと思えば、心も平静を取り戻しました。
 雨も小降りに戻り、今度は見落とされる心配もありません。

 こんな時の10分というのは、案外、長く感じるものです。

 ようやく10分が過ぎ、バスが来ません

 20分が過ぎても、バスはまだ来ませんでした。

 雨だから、多少遅れることは覚悟していましたが、いい加減にしてください。
 はじめのバスから、すでに30分以上バス停で待たされている身にもなってください。
 バスに見落とされた時点では、バス会社に苦情を言おうかと考えましたが、ここまでくるとバスに乗ることすら嫌になってきました。
 地図で見たところ、唐戸まで10kmちょっと。
 よほど歩こうかと思いました。
 もうバスは来ないから歩く!と思ったら、バスがやってきました。

 このバスがもう少し遅く来ていたら、本当に歩いていたかもしれません。
 しかし予定も押している(小倉でらーめんが食べたかった)こともあり、来たバスには乗ることにしました。

 他のお客さんが運転手さんに文句を言っていました。それを盗み聞きしていたところ、そのバスは待っていたバスの次に来るはずのバスだったということが判明しました。待っていたはずのバスは、もっと遅れていたようです。

 八つ当たりで文句を言われた、この運転手さんも災難です。けど、文句を言っていたお客さんの気持ち、すごくよ〜〜〜〜〜〜〜く、わかりました。

 その後は、関門汽船で門司にわたり、小倉で豚骨ラーメンを食べて、湯田温泉に戻りました。
 バス停の出来事以上には特記することもありません。


4日目・萩城下町をドライブ

 この日はKさんの運転するレンタカーで、萩近辺を見物です。
 当初、電車で移動しようと思っていたのですが、Kさんが「車の方が自由が効くんじゃないか」とレンタカーで連れ回すことを申し出てくれました。願ってもないことだったので、ありがたくお願いしました。
 萩に行って、海水浴に行って、温泉に行って…というとても1日では無茶な予定を立てて出発しました。案の定、予定はこなせませんでした。

まずは秋吉台へ

 この日はKさんのお友達も一緒に行動。
 でもって、そのうち何人かは、先行隊として(用事があったので)先に出発していました。途中で合流して、一緒に海水浴に・・・という筋書き。

 先行隊は秋吉台に向かっていました。
 秋吉台は知らなかったのですが“石灰石が露出したカルスト台地”らしいですね。見渡す限り緑の草原だけど木が生えていないという摩訶不思議な風景でした。鍾乳洞なんかでも有名なようです。
 後行隊も遅れて出発。秋吉台で合流・・・と思っていたら、先行隊は私たちが着くより先に出発。さらに先行していました。

 先行隊、萩まであと20kmだとか・・・
 結局、秋吉台はカルストロードをゆっくり走ってもらうだけで素通り。そのまま萩に急ぎます。

萩城見物

 後行隊も萩に着きました。
 先行隊との連絡が途絶えていたので、ひとまず私の要望で萩城跡を見に行くことになりました。

 萩城跡は、本当に城の跡しかありません。昭和のお城復興ブームには乗らず、城があった石垣だけを残している姿はかえって清々しいくらいです。
 ちなみに萩の町並みは昔ながらの町並みを適度に残していて、歴史と共存している町並みとして見事に見えました。山口県全体の印象としてそうなのですが、古都としての面影を残しながら生きた街としての機能も持つという意味では、京都にも劣らないように感じました。西の京と言われただけのことはあります。

 そんなこんなでお城のあった場所などを見て回りました。
 萩城の位置は、東西が海で北側が山という地形。南は平原で城下町。その平原もしばらくいくと山です。城の北の山を越えれば海です。
 なかなか防御力の高い城に思えて、感心しました。そりゃあ、関ヶ原の合戦で西方総大将をしていたために徳川家に目をつけられていたわけですから、築城にはいろいろな可能性を踏まえて、最大限の防衛能力をつけようとしていたのでしょう。
 この城を攻めようと思えば、陸路ならば南からとなりますが、南には天然の(?)川もあり、堀もあり、なかなか攻め切れそうもありません。籠城されたらやっかいそうです。かといって、東も西も船から攻めるには懐が深そうです。
 こっそり北の山裏から上陸して攻めるのが得策だろうなぁと思いました。でもその程度の作戦を戦国時代の人が考えないわけはないので、多分この山の上には砦かなんかがあるんだろう、と予想しました。長州側で考えれば、この山には砦を作り、死守しようとするでしょう。あとは森に紛れてゲリラ戦をすれば、北から攻めきられることもないでしょう。
 いざ徳川家と戦になったら、萩城に籠城し、雲行きが危うくなったら殿様家族には北の山越えさせて、そこから船で逃亡…くらいの計画はあったんじゃないでしょうか。

 とにかく山の上には砦があるはず!の予測は当たり、その山(指月山)の上には、砦があり、そこまで登る道があるとのことでした。
 私としては自分の予想が当たった時点で満足。別に山頂の砦跡は見なくてもいいかなと思っていました。
 Kさんは以前、登ったことがあるそうで「そこから登れるよ」と示してくれました。そこには、なにやら立て看板がありました。

 立て看板曰く
「7合目に倒木があり、それ以上は登れません。倒木の処理が終わるまでお待ちください」

 別に登るつもりはなかったんですよ、私は。・・・その看板を見るまでは。

 いや、なんか「登れません」と言われたら、「登りたく」なるじゃないですか。
 登れなくしている倒木とやらをこの目で見たくなるじゃないですか。
 「登ってはいけません」ならば登りません。けど「登れません」というのは、「登れるもんなら登ってみろ」と同義語ですよ。

 同行していたKさんとお友達は、そんな私に「登りたければ登ってくれば? 私たちは下で待ってるから」と暖かい言葉を掛けてくれました。
 待たせるのは悪いなぁ…と思いながら、登りました。

「7合目の倒木」
大したことはなかった

 どうやら先達がいたようで、無理すれば通れる小道ができていました。

「山頂まで登った証拠写真」
指月山の砦
萩の町並み〜指月山からの眺め〜

昼ご飯・道の駅「萩しーまーと」へ

 実は萩城跡に向かっている途中に、先行隊からの連絡がありました。
 なんでも「萩の道の駅にいるから来い」ということです。後行隊の車内では「道の駅ってどこ?」と騒然。ボスからの指令を受けた秘密結社の下っ端みたいです。
 その後、道の駅の場所はだいたいわかったのですが、せっかくだからと私の意見を残してくれて、先に萩城を見て、その後、道の駅へ…という予定にしてもらいました。道の駅で合流できないまでも、海水浴場で合流しようというわけです。

 そして、私が指月山(萩城の北の山)から降りてきた頃、また雨が降り出しました
 それも土砂降り、三度目。

 ひとまず昼食を取るために道の駅へ向かいました。
 先行隊は(予想通り)すでにいません。

 そして、また数メートル先の視界も危うい雨になり、海水浴は中止
 昨日の雨は前哨戦であったかのようです。ひとりの時だから雨も我慢できるもの…との思いをあざ笑うかのような降水量。せっかくこの夏唯一の海水浴のチャンスだったというのにがっかりです。

 この時点で、先行隊にはもう追いつけないんじゃないかという不安がよぎりました。
 幸い、追いつけないということはありませんでした。最後には追いつきました。・・・湯田温泉に帰ってから。

 それはともかく、雨宿り客でにぎわう「萩しーまーと」で昼食を取りました。

笠山の展望台と椿

 萩城跡を見終えた私としては特にどこに行こうという場所もなく、「お勧めの場所に連れて行って」という一番無責任なお願いをしました。
 そしてまず連れて行ってもらったのが笠山。ここには椿の群生林というのがあって、なかなか絶景とのことでした。

 同じ笠山には展望台と火口もあり、下の写真はその展望台から椿の群生林の辺りを移したものです。

笠山展望台からの眺め

 晴れていたら、もっと遠くまでよく見えたのでしょうが、奥は海です。またこの写真で雲の厚さなんかも見て取れるかもしれないですね。

 さてその後、椿の群生林の方に車を進めてもらいました。
 椿の木は、根元の方で幹がいくつかに分かれて伸びているもので、同じような木が集中して立っている様はなかなか迫力がありました。空が見えないくらいに木は茂り、なんだか上から下に向けて木が生えているような錯覚すら覚えました。
 花の時期に行ったら、また違った見え方が楽しめそうです。

 雨だったせいか他に人はいなくて、落ち着いて見ていられたのは幸運でした。もっとも、雨のせいであまりのんびり見学する余裕はなく、急いで車に戻らなくてはならなかったんですが。

青海島の海は青かった

 その次に連れて行ってもらったのは、青海島です。
 青海島というのは…と蘊蓄をたれたいところですが、あいにくなにを特記するべきなのかわかっていません。とにかく海の色が青くって、だから青海島というのかぁと感心してきました。もっと天気が良ければ、もっと青色だったと思うので残念でした。
 行ってきたのは青海島のちょうど真ん中辺り。山と山の切れ目の辺りです。
 下の写真はその岩場など。十六羅漢とか言われている場所だったと思います。

「青海島・十六羅漢」 日本の渚百選…らしい

 こういった岩場の間をクルージングしてくれる遊覧船もあるらしく、機会があったら乗ってみたいなぁと思いました。
 行き帰りの道に、カニがたくさん歩いていたことにも驚き。まるで茹でた後のように赤々としたカニで、おいしそうでした。

湯田温泉で

 青海島を見ている頃、先行隊はすでに湯田温泉に帰っているところでした。
 夕食を一緒に取ることにしたため、そろそろ戻らないと遅くなりすぎる…ということで、青海島からは湯田温泉に直行。
 帰り道は長門湯本温泉のあたりを通ってもらいました。次の機会には、そういった湯田温泉以外の温泉にも入ってみたいものです。

 なにはともあれ一路、湯田温泉へ。一日楽しいドライブでした。(Kさん、運転ありがとうございました)
 途中、道がわからなくなるというハプニングもありましたが、無事到着しました。そしてようやく先行隊と合流。ある意味、結局合流できなかったという表現の方が適切かもしれませんが、細かいこと気にしてはいけません。

 Kさんのお友達の方々に混ぜてもらって、酒盛りをして、山口旅行の山口最後の夜を満喫しました。
 楽しい人たちで機会があったらまた是非ご一緒したいものです。・・・そのときは、ちゃんと合流した上で。


番外編、5日目・帰京途中

 私にしては珍しいことなんですが、帰りの予定は一切立てていませんでした。もともとはこの日に大垣を出発する「ムーンライトながら」に乗って東京に戻るつもりだったのですが、帰省の時期だったのか満席。結局、青春18切符を使って気ままに帰ることにしました。
 よって、私の取りうる選択肢として、予定表には次の3つが挙げられていました。

 <案1> 大垣夜行に乗る。モロ混みだろうから気が引ける・・・
 <案2> どこか途中の駅で安宿に泊まる。あまりお金は掛けたくない・・・
 <案3> どこかの駅で途中下車&24時間営業のファミレスとかで夜を明かす。眠れるかなぁ・・・
 <番外> 野宿。

 大垣夜行とは、ムーンライトながらと併走する夜行快速を指しています。夏の臨時列車です。ただ、これに乗っても結局2日分の切符を使い、ムーンライトながらよりも早朝に東京駅に放り出されるので、どうも気が進みません。以前、その電車を見たときにはとんでもなく混雑していたということもあり、別の手段をとりたいと思っていました。
 それじゃあ、1日で帰りきることはできるか…と調べてみると、なんと湯田温泉を始発で出発したら、かろうじてその日中に東京まで帰り着けるってことを、時刻表で確認しました。そうすることも検討したのですが、そのためには5時59分の電車に乗らなきゃならない。5時半にはホテルを出るというのはあまり実行に移したいと思えません。それに18切符が1日分余ってしまうのも…ということで、これはやめました。

 結局、湯田温泉を出発したのは昼近く。
 そのまま広島まで向かいました。先にKさんにお勧めの「広島風お好み焼き」屋さんを聞いていたのでそこで昼ご飯。駅ビルの麗ちゃんというお店。
 広島風お好み焼きは以前、関東の方でも食べたことがあるんですが、そのときは焼きそばが下になってればいいというだけの簡易版(?)で、焼きそばの部分がちょっと水っぽかったという印象が残っています。この麗ちゃんのお好み焼きは、焼きそばにもこだわりの作りで、カラッとしていておいしかったです。
 もうちょっと量があると嬉しいなぁとは思いましたが。

 さて昼食後、すでにその日中に東京まで帰り着くことができない時間だったので、さらに寄り道することにしました。まっすぐ山陽線に乗らずに、呉線に乗ることにしました。
 これでこの日は、せいぜい名古屋どまりということが決定。夜行快速にもこの時点で間に合わないことが確定しました。
 呉線というのは、海岸線を走る電車です。なかなか風景が綺麗。途中、海水浴場なんかもあって、時間があるなら途中下車したくなりました。・・・なにせ前日に使わなかった水着があるのでね…と思ったら、他の荷物と一緒に宅配便で送った後でした。どっちにしろ、時間はなかったのですが。
 実は京都から先は日本海側を回って帰るというコースも選択肢に考えていたんですが、そうすると時間的に琵琶湖の北端あたりで電車がなくなりそうなんです。つまり、宿泊場所がなさそう・・・という恐怖があり、呉線に乗った時点でこの日本海コースも廃案としました。

 そんなこんなで夜中。深夜12時間近で、名古屋駅に到着しました。
 殆ど時間のロスなく電車に乗り続けて、ここまでが限界。あと数駅先までなら行くこともできましたが、名古屋駅前の方が泊まる場所があるだろうと思って、ここで降りました。
 途中の乗換駅では、生まれて初めて車掌さんに起こされました。
「お客さん、どこまで行くの?」
「え? あ、名古屋までです」
「それだったら隣のホームの電車に乗らなきゃ。もう間もなく出るよ!」
「はい、ありがとうございます」
 やはり、よっぽど疲れてたみたいです。
 ちなみに、起こされた時点で乗り換えのことまで思い出してたので、車掌さんとの問答がちょっともどかしかったです。まあ、場合によってはこの駅から先に進めなくなっても構わないと思ってたので、いいんですけど。

 夜中に名古屋駅に着き、降りてまず探したのは、野宿場所でもホテルでもなく、お食事処でした。
 途中の乗り換えに無駄がない…というか、余裕がないというかで、夕食を取る暇がありませんでした。途中、多少の待ち時間がある駅もあるので「駅弁を買おう」と思っていたのです。が、これが不覚でした。夕方には駅弁は全て売り切れ。立ち食いそばなどのお店も全て閉まっていました。
 そんなわけで、昼過ぎに広島風お好み焼きを食べてからなにも口にしていなくて空腹感は絶頂。24時間営業の吉野家が輝いていました。

 さて吉牛で牛丼を食べて、腹も落ち着いたところで改めて寝場所探し。
 はじめは探していた区画が悪かったようで、なかなかホテルは見つかりませんでした。あまりにも見つからず、よっぽど野宿しようかと思いました。実際、かなり真剣に野宿できる場所も探してました。
 ここならいいかな…と思う場所には、たいてい先客がいたのには驚きました。段ボールで風よけを作り、新聞を引き詰めたり…と、その道の専門家の方たちです。専門家と同じ場所に目を付けるってことは、私もなかなか捨てたもんじゃありません。いつでも、その道に入れるってことです。喜ぶことではないですが。

 その後さらに歩き回って、ビジネスホテルを見つけました。
 が、いざ中に入ってフロントと交渉…と思うと、やたらおっくうになりました。なんせ、明かりがついているとはいえ、フロントには人が常駐していなくて、まずは呼び出さなきゃいけない。もっと早い時間ならば、宿泊の交渉もいいけれど、いいかげん日付を越えた後だってのに宿泊交渉をするのは、ちょっと恥ずかしい気がしてしまって。
 なにより、宿泊料金がどこにも書いていないというのが、入りにくさを倍増させていました。そりゃあ、多少高くても支払うことはできます。ただ山口で泊まっていたビジネスホテルが温泉(?)付き1泊3000円ということを考えると、5000円くらいでも割高感を感じてしまいます。
 2時近くにチェックインして、10時にチェックアウトするだけで高い料金を払うというのは損した気がする…なんていう料簡の狭いことを思ってたのは秘密です。

 料金を明記してある場所を探しました。
 そんなホテルも見つけるには見つけました。
 とにかく町中を歩いていたら、ホテルっぽい看板。
    「ご宿泊 5800円、ご休憩 3800円」
 そこに泊まるくらいなら野宿しようと思いました。

 結局、選んだのは、駅前の施設。

「オールナイトサウナ 太陽」

 ・・・怪しげな看板で、なにかあぶないサウナなのかと思って敬遠してたのですが、特に客引きはしてないし、そのビルの下までいってみてみると、どうやら一晩中営業しているサウナのようでした。さらに「仮眠室付き」と書いてあります。
 要するに、終電を逃したビジネスマンなどが駆け込む場所なんだと理解しました。
 一晩の利用料が3200円。
 サウナとしてはバカ高いですが、宿泊場所+風呂と見れば、まあ許容範囲です。お風呂屋さんに付いているサウナには入ったことありますが、サウナ専門の店には入ったことありません。そういう意味でも、いい経験になりそうだと思い、入ってみることにしました。

 フロントに行き、はじめに言った言葉は「仮眠室は空いていますか?」
 もう何のために来たのかバレバレです。けど、そのための施設でもあるのでしょう。フロントの人もなんとも思っていないようでした。
「空いていますが、仮眠室というのは大部屋にベットが並んでいるだけですよ」
 それくらいは想定内。横になって寝られる場所がありさえすればいいと思っていたので、了解しました。
 サウナを使うのは起きてからにして、速攻で仮眠室に向かいました。
 そこはひとり用のソファーベットが並んでいて、質実剛健というか、ある意味、機能美を追求したような部屋でした。ベットといっても畳一畳分程度。さっさとベットを一つ占拠して眠ることにしました。

 室内でそれなりに安心して眠れる状況だったおかげか、ゆっくり眠ることができました。
 看板からサウナ専門店なのかと思っていましたが、実際は大きなお風呂付きでした。仮眠室付きの大型銭湯といったところ(?)。温泉と比べたら相手が悪いけど、なかなかいいお湯でした。下手な温泉よりはいいかもしれません。
 ぐっすり眠り、広い風呂に入って、それなりに広いサウナ室も使ってから、出発。
 元々の想定以上に快適な宿泊ができました。

 この手のサウナ施設、最近、増えてきてるのかもしれません。
 入浴設備を重視したカプセルホテルという感じでしょうか。(私はまだカプセルホテルに泊まったことはないのですが) 忙しいビジネスマンが電車を逃し、駅前に泊まる。翌朝は一風呂浴びてから出勤・・・とか、貧乏旅行者が移動の途中に使う・・・といった使われかたを想定している施設なんだと思います。
 宿を決めずに旅行するときには、なかなか便利そうでした。ビジネスホテルに泊まってユニットバスを使うよりもずっと快適。それなりに安く上がるし。
 ここの施設は男性向けで、女性用の風呂も仮眠室もありませんでした。経営側としては需要と維持費を考えてのことでしょう。
 いずれは風呂をもっとバージョンアップした女性向け施設も登場するかもしれませんが、ひとまず現時点では男性に生まれてきた良かったと思いました。男性旅行者の方には、宿泊場所の候補の一つとしてお勧めしておきます。

 翌日は名古屋城の辺りまで歩き、名古屋城の外観を見てから東京に戻りました。


おわりに

 こんなに長くなるとは思ってませんでした。4日分+αとなるとこうなるのでしょうか。
 写真にばらつきがあるのは、悪天候でカメラを鞄から出したくなかったりというずぼらな理由です。もっと撮影してくれば良かったとちょっと悔やんでいます。
 山口は想像よりずっと居心地のいいところでした。歴史や自然と共存している町並みなど、単純な工業化に走らない気概のようなものを感じました。県庁所在地の山口駅には新幹線を通さないあたりに意地を感じました。今回見られなかった場所も多いので、是非また行ってみたいです。
 坂本龍馬が見た風景〜としては、いずれ鹿児島や長崎、高知にも行きたいと思っています。鹿児島や長崎帰りには山口に立ち寄ってくのも悪くないですね。

(文責・山本明)

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