科学者たちの理想郷


 その刻、その小さな箱の中でビッグバンが起きた。人々の見守る中、その箱の中に“宇宙”が誕生したのだ。
 一瞬の沈黙…そして、歓声。その部屋の人々は互いの功績を誉め称えた。
「やりましたな、博士!」
 一人の男が、別の男に声をかける。白衣に身を包んだその男は照れたように頭を掻いた。
「いや、しかしまだ宇宙のシミュレーションが動きだしたというだけですから。理論が間違っていたという証明になるかもしれませんよ」
 しかし言葉とは裏腹に、その顔には笑が絶えなかった。声をかけた男は博士の肩をたたく。
「間違っていたなら、改めれば良い。そんなことは気にすることではありません。とにかく今は、成し遂げたことを誇ろうじゃないですか」

 十数年前、科学者の長年の夢であった宇宙を統べる法則が発見された。それはたった一つの法則で、ただそれだけで全ての現象が説明できた。
 物が落ちるのも飛行機が飛ぶのも。地球が太陽の周りを回っている訳も。それどころか、星が誕生することや、生命の働きすらも全て、その法則で説明された。もっとも実際の現象に当てはめるには、数学上の変形や技術・近似などを巧みに利用しないといけないが。
 とにかくそれは「最終法則」と呼ばれ、これで何でもわかると信じられた。
 しかし、この法則には一つの欠点があった。それは「法則が正しいことを示す実験がない」ということだ。実際の現象をよく説明できるのだから、それだけで正しいといえなくもないが、やはり何か実験がほしい。
 実験で以て理論が正しいかどうか判断する。それは科学特有の伝統的な信念であった。
 結局、急速に発展しつつあったコンピューターを使って、シミュレートしてみることになったのだ。そのたった一つの法則に従うような仮想的な世界をコンピューター上に作る。そして、その“世界”がどのような発達を遂げるか観察するのだ。
 その“世界”が現実と同じような発達を遂げたなら、「最終法則」は正しく、そうでなければ「最終法則」はどこかに欠陥がある。
 しかし、自然と全く同じことをコンピューター上に再現するのは大変だ。膨大な計算を瞬間的に行わねばならないから。しかし、そこは数多くの優れた技術者のおかげで、なんとかなった。それどころか巧みな近似を利用して、実際の宇宙よりも“時間”経過の早い“宇宙”をシミュレートできるようになった。
 もっとも、このシステムを完成するのには軽く十数年の時を要した。そして、数多くの技術者の意見やプログラムをまとめ上げたのが先程の博士であり、そして今、十数年掛けて完成したプログラムが動きだし、仮想の“宇宙”が誕生したのだ。
 あとはこれを観察して、「最終法則」の是非を確認するだけだ。

 このシステムの優れた点は、“時間”が早く進められるだけではない。“世界”で起こっていることを画像として観察できるのだ。“世界”のどこにでも視点を移動でき、どんな視点からも見ることができる。
 行なわないという約束になっているが、その仮想の“世界”に何らかの“干渉”を行うこともできる。つまり、その“世界”にとってのいわゆる“神”にすらなれるというのだ。
 この実験の成功は、その日のマスメディアによって大々的に報道された。
『世紀の実験始まる!』
『これで全ての謎が解ける?!』
『人類はついに“神”になった!』
 ・・・
 誇張がちな見出しも目立ったが、なにより世界中の人々がその実験に注目した。博士は計画の実行者として数日間、報道機関からひっぱりだこだった。
 実験は思いのほか順調に進んだ。
 実験開始の日に博士が言っていた「理論の間違いを指摘することになるかも」という心配は全くの杞憂に終わった。
 作られた“宇宙”は、予想されていたよりもずっと正確に活動したのだ。実験開始からしばらくすると“惑星”ができ、3日後には“生命”も発見された。万事順調、世界中の「最終法則」に異論を投げ掛けていた少数の科学者たちも言葉を発さなくなった。「最終法則」は本当の意味での「最終法則」となったのだ。
 しかし、当初の予定どおりでないことも起きてきた。
 それは専ら現実の世界でだ。というのも、作られた“宇宙”が正確に動いているのがわかるにつれて、科学者たちの関心が急激に失われていったのだ。実験が始めるまでの関心の高さとは比べるべくもない。“生命”が発見されるころには誰一人、この実験のことを口にしなくなったのだ。
 「最終法則」の正しさが証明された時点で、彼らの関心事はすでに他に移っていた。それは『この世界をこの世界たらしめているものは何か?』という疑問に対する答えだ。「最終法則」によって宇宙で起きる全てのことが説明できるようになった科学だが、その疑問に対する答えは見つかっていない。
 それは科学と哲学との境目に位置するため、これまでずっと避けられてきた問題である。しかし、科学に残された問題はすでにそれだけになっていた。
 『この世界をこの世界たらしめているものとは?なにが世界を創ったのか?』

 一般の人たちは、いくらか良かった。“生命”が発見されるころはまだ、関心が残っていたから。しかしそれもいわゆるブーム的なもので、長くは続かなかった。科学者たちに遅れること数日にして、彼らの関心も失せた。
 世界の目を一身に受けていた実験も、すでに過去の出来事となった。十数年掛けてこの実験を成功に導いた博士も…捨てられた。
 博士は誰も来なくなった研究室で、画面を眺めた。そこにはこの十数年の苦労の結晶があった。そのなかでは今も“時”は進んでいて、刻一刻とその“姿”を変えていた。それを眺めつつ、博士は肩を落とした。
 実験が始まる前が懐かしかった。
 とてつもなく忙しく、この実験を成功させることだけが生きがいのように働いた。
 そして実験は成功し、人々は去った…
 実験に関わった多くの仲間も、科学に残された最後の疑問の答えを探し始めた。その中で博士だけはこの研究室を出なかった。いや、出られなかった。
「世界を創ったものは何か、だって? そんなことにどれだけの意味があるっていうんだ。この実験に比べたら…」
 そんな博士をさらに打ち付けたのは、それまで協力してくれていた企業が資金援助を取りやめると知らせてきたことだ。「終わった実験には金は出せない…」

 残された時間、博士は自分の“宇宙”を観察することにした。隅から隅まで。どんな些細な出来事でも記憶に焼き付けられるように。
 するとなかなか面白いものも発見できた。“進化”した“生命”が“文明”を築きだしたのだ。箱の中の“人類”は実際の人類と同じように発達した。特に面白いのはその“人”が“世界”の仕組みについて興味を持ちだしたことだ。
 “人”はやがて“実験”を行うようになり、積極的に“自然”に働きかけるようになった。まるで実際の人類の科学の歩みを見ているようだった。
 “人”は長い長い“時間”をかけて、しかし着実に“世界”を秩序付けている“最終法則”に近づきつつあった。一体、作られた“人”はどこまで“最終法則”に近付けるのか? 博士は興味深く観察した。これは実際の科学の歩みを模倣したもの…色々と参考にもなる。
 しばらく…箱の中で言うと“数百年”の時を要して、ついに“人類”は“「最終法則」”を発見した! 博士の作った“世界”の“現象”全てに共通する法則を、作られた“人”が発見したのだ。
 博士はその努力に感嘆した。
 そして“人々”の探求はとどまることを知らず、“「何がこの世界を作ったのか?」”について考え始めた。
 残念だが…と博士は思った。“彼ら”の探求もここまでだ。「最終法則」とは異なり、“世界”を作ったものに対する情報は与えられていない。“彼ら”が私を“発見”することはできないのだ。
 そのとき、博士は一人の“男”を見つけた。
 その“男”は、“「最終法則」”が正しいこと証明する実験を取りまとめた“男”だった。その“実験”も現実と同じく、コンピューターによる仮想的世界のシミュレートだった。そして実験は成功し、人々から捨てられた。
 博士は、その“博士”を驚きと哀れみ、同情をもって見つめた。
 “人々”から捨てられた“博士”は落ち込み、一人実験の成果を眺めていた…
 …えっ。
 “博士”がピクリと動いた。何かを発見し、驚いたように背筋を伸ばした。そしてあろうことか、まっすぐと“空”を…博士の方を“見”た。
 その刻、博士と“博士”の目がピタリと合った。
 博士の背筋が凍った。
 そして次の瞬間、恐ろしい考えが体中を駆け巡った。恐ろしい考えだが、それはきっと…
 博士は恐る恐る、しかしはっきりと空を見上げた。そこにはもう一人の…
 その刻、“博士”と博士の目が…

1997.7/28 山本明&SHILL with ま〜くん(Jedit1.0.8b3)



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